渋沢教会
更新日:2021.2.28

2月21日 御言葉の説教「あなたの罪は許される」

大井 啓太郎牧師
民数記12:28
マタイ9:1〜8

 

 主イエス様が向こう岸から戻ると、その噂を聞き付けた者が大勢押しかけ、そ の中に中風で寝たきりになった人もいました。マタイは人々が床に寝かせたまま 連れて来たとだけ記していますが、マルコ・ルカでは4人の男が家に入ることが できなかったので、屋根に登り、屋根をはがして病人を吊り下ろしたと記してい ます。彼らは、イエス様のもとにその病人を運びたかったのです。それほど、彼 らは病人のことを思い、また、イエス様を信頼していました。

 その一途な信仰を見て、主は「あなたの罪は赦される」と言われたのです。病 人本人の信仰ではなく、連れて来た人々の信仰を主は目に留められているのです。 主はこのような危険を顧みず、一心に他者を助けようとするその人々の姿に「あ なたの罪は赦される」と宣言する事をためらわなかったのです。(ヨハネ 15:13)

 しかしこの時、群衆の中に律法学者がいました。彼は罪を赦す権威は神お一人 のものと考えていましたから、主の言葉を神への冒涜(ぼうとく)と考えました。 主は即座に律法学者の心を見抜きます。主は「地上で罪を赦す権威が与えられて いることを知らせよう」といい、病の人に起き上がる事を命じるのです。その中 風の人は、起き上がりました。主イエス様の言葉が単なる口先だけのものでなく、 天からの権威が与えられていることを彼が証明したのです。今日の説教題に「あ なたの罪は許される」と付けましたが、実は「許す」ではなく「赦す」が本来使 うべき漢字でした。厳密に考えるとこの許すは、何かを認めるという性格が強い のです。主の罪の赦しは、なかったことにする完全な免責なのです。

 私たちは礼拝の中で牧師や長老によって罪の赦しの宣言を聞きますが、それは まさに、この主の権威によるのです。主は十字架にかかり全ての罪を贖って下さ いました。その事を礼拝毎に思い起こす、それが赦しの宣言です。何か特別な力 を牧師や長老が持っているのではない。さらに言えば、キリストに結ばれている 全ての者が、罪に苦しむ者たちに「あなたの罪は(キリストの十字架によって) 赦されている」と宣言できるし、しなければならないのです。

 

 

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