渋沢教会
更新日:2021.3.7

2月28日 御言葉の説教「罪びとこそ招く主イエス」

大井 啓太郎牧師
ホセア6:6
マタイ9:9〜13

 

 この福音書の筆者マタイは、マルコ・ルカ福音書ではアルパヨの子レビと呼ば れています。彼の仕事は徴税人でした。徴税人とは、ローマ帝国に納める税金を 取り立て、その権威をかさに着て、余計に税を取って私腹を肥やしていた人もい ましたから、人々からとても嫌われていたのです。そのような人物に主は語り掛 けるのです。「私に従いなさい」と。今までとは全く違った人生の可能性を感じ たマタイは主に従い、マタイの家で食事をしていたのです。そこに大勢の「罪人 (つみびと)」がやってきました。なぜ罪人とわかるのでしょうか?これは、律 法学者たちの視点なのです。マタイは徴税人という罪人であり、その家に来る人 はみな罪人という短絡的な発想なのです。神の前に正しい者は、罪人の家で食事 などをしないものだという決めつけがあるのです。主イエス様の元にはこのよう な当時の基準では「神に数えられない人々」が多く集いました。律法学者たちは、 そのような理由で主イエスを不審がったのです。「なぜあのような者(罪人)た ちと食事をするのか」と。それを聞いた主イエス様は、「私が来たのは、正しい 人を招くためではなく、罪人を招くためである」とおっしゃいました。山上の説 教で語られたように、心貧しいものに天の国の門は開かれ、悲しむものに慰めが 与えられたのです。

 主イエス様は出自や職業、性などの全ての隔たりを越えて全ての者を神の国の 食卓へ招かれますし、また、主に建てられている教会はその事を現代(ここ)に 実現できる場なのです。しかし私たちもまた、ややもするとファリサイ派の人々 のように、自分たちの基準に合わない人々に対して、関わりたくない思いを持っ たり、目を背けてしまうのです。主がマタイに語った「私に従いなさい」という 言葉は絶えず私たちへの招きの言葉です。主の「どういう意味か行って学びなさ い」という言葉は、私たちに対して語られた言葉です。

 マタイのように今座っているところから立ち上がり主に従おう。

 

 

 

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