渋沢教会
更新日:2021.3.14

3月7日 御言葉の説教「ガラケーからスマホへ招く主イエス」

大井 啓太郎牧師
イザヤ58:6〜8
マタイ9:14〜17

 

 バプテスマのヨハネの弟子たちは「なぜあなたの弟子たちは断食しないのか」 と主イエス様に質問しました。バプテスマのヨハネの弟子たちはユダヤの三大善 の一つである、断食をよく行っていました。私たちはすでにマタイ 6:16 におい て断食が、確かに熱心さの象徴と認めながら、しかし、本来それは悔い改めの行 為であってそれを誇るものでも、他と比べるものでもない事を教えられました。 人に隠れて行えと教えられたのです。しかし今は、断食をする時ではないという のです。ここで主は婚礼を例えとして話されました。主はご自身を契約の民イス ラエルに与えられた花婿として示して「私(主イエス)がここにいるという事こ そ、婚礼の時のように喜ぶべき時である。赦しがここにある。なぜ、悔い改めが 必要なのか」と、語られたのです。そしてさらに、「花婿が奪い取られる時が来 る。その時、彼らは断食する」とご自身の死を予告されました。

 さらに主は、律法と福音の関係を古い布と新しい布、古い革袋と新しいブドウ 酒に例えられ、古い布と新しい布を継ぎ当てれば、古い布が破れてしまい、ぶど う酒と革袋の例えでは、新しいブドウ酒は発酵し膨脹してしまうので、柔らかい 新しい革袋に入れる必要があったというのです。主イエス様は、このようなたと えで、人が解釈してきた律法の限界と律法の本当の意味を明らかにしようとした のです。私はこの例えを今で言ったなら何に当てはまるだろうかと考えて、「ガ ラケーからスマホへ招く主イエス」と説教題をつけました。スマホは、私たちの 生活を一変させましたが、これ以上の驚きと違いが、律法と福音にはあるのです。 古い律法に新しい福音は収まりきらないように、私たちもまた、古い自分の価値 観を脱ぎ捨てて、新しく福音を受け入れる者になりましょう。

 新型コロナウイルスの流行によって、多くの人々が生活苦に陥っている今、イ ザヤ 58 章 6 節以下の言葉は、キリスト者として何をすることが主に喜ばれる信 仰であるかを私たちに語っています。

 

 

 

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