渋沢教会
更新日:2021.3.28

3月21日 御言葉の説教「最後の 1 週間@」

大井 啓太郎牧師
詩編24:7〜10
マタイ21:12〜17

 

 主イエス様は、ガリラヤ地方を中心に数年活動された後、本当の目的を果たす ため、過越祭を祝う巡礼者たちであふれかえる都に続く道を弟子たちと共に進ん でゆかれました。ラザロを蘇らせたといううわさも都に届いていたので、子ロバ に乗る主イエス様を見た民衆は「ホサナ」という歓声と、棕櫚の葉を振りかざし、 道に自分の上着を敷いてイエス様を迎えたのです。そのような中、主はエルサレ ム神殿の中で商売をしていた人々をここは祈りの家だと言って、追い出し始めた のです。イエス様の宮清めの出来事は、直接的には商人たちを追い出すことでし たが、その商人たちを認めていた祭司や律法学者への非難でもあったのです。し かし、民衆にとっても自分たちの利便性を否定される行為でした。彼らが求めて いたのは、ローマ帝国からの解放や、民族の尊厳の回復、病や苦しみを癒してく れる存在でした。祭司長たちは、民衆の反感を恐れ、祭りの後に主イエスを殺そ うと企てていましたが、それが前倒し的に祭りの中で行われていったのは、民衆 の気持ちが急速に主イエスから離れてしまったからではないかとも思うのです。

 私たちもまた、勝手な思いでイエス様を見る時、この民衆と同じになるのでは ないでしょうか。主が来てくださったのは、私たちの生き方を変えるため、価値 観を変えるためなのです。それは時として、古い自分を捨てるという痛みを伴う ものであるかもしれないのです。主イエス様の思いは、全人類の救い、神との和 解でした。私たちの願いももし個人の願いだけにとどまったままだとするならば、 この民衆と同じ熱狂と失望を経験することになるのです。それでも主は、語り続 けます。本当に恐れるべき方は誰なのか、皇帝なのか神なのか。また、一番大切 な掟が互いに愛し合うことであることを。そして赦し続けます。3 度主を知らな いと言ったペトロをはじめ誤解していた弟子たちを。一人でも多くのものが、神 に立ち返るように、永遠の命に至る道を見出すように主は、十字架に続く道を歩 まれたのです。

 

 

 

 

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