渋沢教会
更新日:2021.4.11

3月28日 御言葉の説教「最後の 1 週間A」

大井 啓太郎牧師
詩編119:105
マタイ25:1〜30

 

 主イエス様は、ガリラヤ地方を中心に数年活動された後、全人類の救いという 本当の目的を果たすため、過越祭を祝う巡礼者たちであふれかえる都に続く道を 弟子たちと共に進んでゆかれました。ラザロを蘇らせたといううわさも都に届い ていたので、子ロバに乗る主イエス様を見た民衆は「ホサナ」という歓声と、棕 櫚の葉を振りかざし、道に自分の上着を敷いてイエス様を来るべきメシアとして 迎えたのです。そのような中、主はエルサレム神殿の中で商売をしていた人々を ここは祈りの家だと言って、追い出し始めたのです。イエス様の宮清めの出来事 は、直接的には商人たちを追い出すことでしたが、その商人たちを認めていた祭 司や律法学者への非難でもあったのです。しかし、それは民衆にとっても自分た ちの利便性を否定される行為でした。彼らが求めていたのは、ローマ帝国からの 解放や、民族の尊厳の回復、病や苦しみを癒してくれる存在でした。祭司長たち は、民衆の反感を恐れ、祭りの後に主イエスを殺そうと企てていましたが、それ が前倒し的に祭りの中で行われていったのは、民衆の気持ちが急速に主イエス様 から離れてしまったからではないかとも思うのです。

 私たちもまた、勝手な思いでイエス様を見る時、この民衆と同じになるのでは ないでしょうか。主が来てくださったのは、私たちの生き方を変えるため、価値 観を変えるためなのです。それは時として、古い自分を捨てるという痛みを伴う ものであるかもしれないのです。主イエス様の思いは、全人類の救い、神との和 解でした。私たちの願いも、もし個人の願いだけにとどまったままだとするなら ば、この民衆と同じ熱狂と失望を経験することになるのです。それでも主は、語 り続けます。本当に恐れるべき方は誰なのか、皇帝なのか神なのか。また、一番 大切な掟が互いに愛し合うことであることを。そして赦し続けます。3 度主を知 らないと言ったペトロをはじめ誤解していた弟子たちを。一人でも多くのものが、 神に立ち返るように、永遠の命に至る道を見出すように主は、十字架に続く道を 歩まれたのです。

 

 

 

 

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