渋沢教会
更新日:2021.4.18

4月11日 御言葉の説教「甦りなんて信じないあなたへ」」

大井 啓太郎牧師
創世記1:1
ヨハネ20:24〜29

 

 最初のイースターの日、明け方にマグダラのマリヤらが墓に行き、復活の主に 出会い、そのことを弟子たちに話しましたが彼らは悲しみと不安で信じられなか ったのです。しかし、扉を閉ざして集まっていた部屋に突然イエス様が現れ、弟 子たちの真ん中に立ち「あなたがたに平和があるように。」と言われたのです。 恐れおののいていた弟子たちでしたが、イエス様が十字架の傷を示されて初めて 弟子たちは、この喜ばしい現実を認識し、心に平和が訪れたのです。しかし、こ の時トマスがいなかったのです。トマスが 10 人の弟子たちがいるところに帰っ てくると彼等は「イエス様を見た」と言って喜んでいる。トマスは他の弟子たち が最初そう思ったように「亡霊でも見たのではないか」と考えたことでしょう。 トマスは言います、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなけれ ば、また、この手をその脇腹に入れて見なければ、私は決して信じない」と。

 そのように言ってから八日の後、復活のイエス様が現れました。主はトマスに 向かって「あなたの指をここに当てて、私の手を見なさい。また、あなたの手を 伸ばし、私の脇腹に入れなさい。信じない者ではなく信じる者になりなさい。」 と言われました。トマスは復活の主の栄光に圧倒されて、「私の主、私の神よ」 と告白します。聖書の中で実際にイエス様を「神」と書いてある所は少ないので すが、この疑い深い現代人のようなトマスが主イエス様を神と告白していること が重要なのです。世界を創造された神が目の前にいる。「神」と告白するという ことは、そういうことです。トマスが実際に傷に触ったかどうかは、聖書には記 されていませんが、私はみ傷に触れたからこそ「私の神」と告白できたのではな いかと思うのです。少なくともトマスはキリストの人格に触れ、その十字架の傷 が、私たち一人一人の罪の贖いの故であったことを知るようになったのです。

 主は私達にも、そのみ傷を示されます。その傷に触れるということは、自らの 罪を認めることであり、その傷は、主の復活によって癒されるのです。私達の罪 がすでにキリストのみ傷によって赦されていることを絶えず思い起こし、キリス トの業を共に宣べ伝えていくものでありたいと思います。

 

 

 

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